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願行寺(がんぎょうじ)◎浄土宗
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〒386-0012 長野県上田市中央2-16-14 電話0268-22-2993
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往古千曲川太鼓淵に、夜、光が顕れるのを近隣の人々が不審に思い、淵を探すと、水底に一光三尊の阿弥陀如来がおられたので、この仏を取り上げ領主滋野氏に献じました。滋野親王の嫡流である海野小太郎はこの如来への帰敬浅からざるものがありましたので、如来のために海野郷岩下(現東御市本海野字岩下)に一寺を建立したのが当寺の創まりで「功徳山願行寺」と称し、松誉岌香上人を開山として寺領を附せられました。
この仏は、元来、聖徳太子が68の願を表して48体の善光寺如来の御尊容を閻浮檀金鋳造することを発願した折に、善光寺如来が鋳形に移りたまい、光明の灯を以て鋳写した随一の仏であるといわれます。しかし、天文10年(1541)海野左京大夫幸義、没落の砌に兵火を被って、寺門、旧記等は焼失し、本尊のみが住職の守護により全きを得ました。
その後諸所に転じて仮堂を営み本尊を安置しましたが、天正14年(1586)真田昌幸が上田城下に甲府帰命院より岌譽道山上人を請じて堂宇を建立し、願行寺住持(第5世)としました。
第6世頓蓮社圓誉上人は、善光寺如来を平生須弥檀上に安置する事を勿体無く感じ、新たに本尊を迎え、善光寺如来を秘仏にすることを願いました。寛永2年(1625)彼岸に三夜続いて住職に霊夢があり、本尊となるべき仏を迎えに西の方へ出ずべしとの仏勅を得ました。圓誉は随喜して西の方にお迎えに出ると、上田原赤坂辺で笈をかつぐ行脚の僧に出合った。僧は、やはり仏のお告げによって小県郡の上田の寺へ本尊を納めに行くところだという。圓誉は歓喜して、涙を流し、自らの得た瑞夢について語ると旅の僧はこの本尊を圓誉にわたし、何処かに去ったといわれます。
これにより、善光寺如来は秘仏となり、十夜仏と呼ばれるようになりました。元和7年(1621)上田城下町整備のため寺屋敷替があり、海野町裏(現横町)に再建されました。寺領は領主仙石越前守、松平伊賀守の代に及んでなお除地とされて現在に至っています。
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見どころ
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参拝時間
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拝観料
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ご朱印
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行事
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8月6日 施餓鬼会
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